受付のクレマイヤー嬢にパソコンの手ほどきを受けるヒトラー。 (C)2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH
受付のクレマイヤー嬢にパソコンの手ほどきを受けるヒトラー。 (C)2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH

2011年にドイツで刊行されたベストセラー同名原作(“Er ist wieder da”=彼は再びそこに存在する)の映画化。拡大する格差社会、失業問題、移民問題など現代の深刻な政治問題を、21世によみがえったアドルフ・ヒトラー総統が一刀両断、小気味よく1930年代の演説そのままに解決を訴えていく。1930年代と2014年の政治状況とヒトラーの論述が微妙な違いを醸しながら民衆の不満の声に合致していく妙味がなんとも可笑しい。それでいてヒトラーを笑い飛ばせない不気味さ。海外のジャーナリズムが日本の報道の自由を懸念する状況や、深刻な格差社会への批判を個性と独特の“トランプ革命”論を掲げてアメリカ大統領選挙の共和党候補に迫りつつある世界を見ると、強いリーダーを生み出す民衆の責任を問われているようで笑えない戦慄を覚えさせられる作品。

【あらすじ】
ドイツの第三帝国総統アドルフ・ヒトラー(オリヴァー・マスッチ)。1945年4月30日に命を絶ったはずの彼が、2014年、ベルリンの街中にある茂みの中で目を覚ました。近くで遊んでいる子どもたちのサッカーボールが、彼の側に転がってきた。総統の制服を着ているヒトラーを見ても、子どもたちはあまり気にしない。だが、ヒトラーのいでたちに目を止めた人たちが、彼をモノマネ芸人と勘違いして写真に撮ろうとする人たちが寄ってきた。その煩わしさにキオスクへ駆け込んだヒトラーだが、新聞の日付を見て今が2014年であることを知り、ショックのあまり気絶した。

翌日、マイTVの番組ディレクターをクビになったザヴァツキ(ファビアン・ブッシュ)がキオスクを訪ねてきた。職場復帰をかけて特ダネを探していて見つけたヒトラーをモノマネ芸人と思い込み「ヒトラーが現代のドイツを闊歩する」という企画をヒトラーに持ち掛ける。自分がよみがえったのは「私に戦いを続けよとの、神の意志なのだ」と確信し、過剰な自信を取り戻していたヒトラーは、ザヴァツキの企画を受け入れる。

ヒトラーは、ドイツ国内を巡り様々な階級の人たちに「いま気になっている問題は?」などと話しかける。移民問題、政治不信などいろいろな不満の声を吐き出させては、得意の話術と論理展開で相手を洗脳していく。ヒトラーの議論を見かけた人たちの反応は、喜んで一緒に写真を撮ったり、いでたちに不快感を露わにする人など様々だが、誰もほんもののヒトラーとは思わない。ザヴァツキは撮った動画をYou Tubeにアップすると100万回を超す再生を記録。ネットでのヒトラーの人気は急上昇する。

ヒトラーの著作はマスコミにも取り上げられ民衆の心をとらえていく (C)2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH
ヒトラーの著作はマスコミにも取り上げられ民衆の心をとらえていく (C)2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH

ベルリンに戻ったザヴァツキは、マイTVの副局長ゼンゼンブリンク(クリストフ・マリア・ヘルプスト)に掛け合うがゼンゼンブリンクはまったく興味を示さない。待たされて業を煮やしていたヒトラーは、勝手に会議中のベリーニ局長(カッチャ・リーマン)に直談判すると、ベリーニ局長はヒトラーのカリスマ性を認めて番組を作ることを決断する。

ヒトラーは、キワドイ人種問題も取り上げるアリ・ジョークマンの生放送人気トーク番組に出演した。登場してしばらくの沈黙によって人心を掌握した後、現代の低俗なテレビ番組について批判し、社会と人民の貧困問題について20世紀初頭のヒトラーそのもののドイツで演説した言葉そのままに語る。言葉は辛らつだが、自信と確信に満ちた演説にモノマネ芸人と思い込んでいる観客と視聴者は拍手喝さい。だが、現実の政治への批判は真に迫り、必要としている変革の目的は「もちろん、民衆の望む世界の実現だ」と言い切るヒトラーには、政党も次第に無視できなくなる…。

【みどころ・エピソード】
ヒトラーを演じるオリヴァー・マスッチの演説、立ち居振る舞いのオーラは、やはり見どころでしょう。演説での話し方は、ドキュメンタリーフィルムなどで耳に残っているそのもの。一方で、ザヴァツキや受付嬢クレマイヤーら若者、女性に対しては、彼らの話をしっかり聞き、きちんと意見と判断を示して威厳とともに信頼と親しみを感じさせられる。クレマイヤー嬢の助けを借りながらPCで世界情勢の概要と掴み新聞で国内問題を把握する頭の良さ。70~80年前の政治環境とは異なるので細かな論点はかみ合わなくとも、問題の核心についての辛辣な指摘は妙に説得力を持って聴衆の心に届いていく。その微妙な展開がなんとも可笑しい。

原作では、2011年8月30日にタイムスリップしてよみがえったヒトラーのひとり語り(一人称)で物語が展開していく。彼の周囲に起こる出来事、政治の問題が、1945年4月30日に自死したであろうヒトラーの思考法と認識そのままに読み解かれていく。そのままのヒトラーが、しだいに民衆に受け入れられ彼の政治的野望、非理性的な論理に引き込んでいくプロセスが辛辣な風刺となって描かれてく。映画では、ヒトラーのモノローグではなく、彼の政治的野望と使信とを利用しているつもりが、いつのまにかヒトラーの目的実現に巻き込まれていく周囲の人たちと民衆の意識に視点を置いてい演出されている。オリヴァー・マスッチ扮するヒトラーが、総統の軍服姿で町を歩き人々の声を聞くシーンは、映画ならではのドキュメンタリーの手法で撮られていてる。また、ラストのシークエンスは、原作とは異なる展開で演出されているが、原作がもつ可笑しさと読者への啓発の深味は遜色ない。

ディベート番組でもヒトラーは堂々と持論を述べ民衆の支持を得ていく (C)2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH
ディベート番組でもヒトラーは堂々と持論を述べ民衆の支持を得ていく (C)2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH

歴史においてもヒトラーは、最初から暴君としてドイツの民衆の前に現れたわけではない。国民主権を規定した議会制民主主義を謳ったワイマール憲法のもとで首相になり、やがて“憲法変更的立法”の全権委任法が成立し実質的な憲法停止状態になっていく。政治と政策について自由に議論する場は統制され、ユダヤ人や共産主義者らが町で殴打されても気にならなくなる民衆。ヒトラー一人を<絶対悪>として責任を負わせておくことの限界とほころびが浮き彫りにされていく。これは政治や原発問題などについて大メディアの報道が均一的になり、憲法条文の改正をせず政権による憲法解釈のみで国の安全保障のための実際的対応が大きく変更された今の日本の政治状況にも啓発される使信が伝わってくる。秀逸な社会風刺コメディであり、市民として盲目的に政治を傍観していることは、いつのまにか政治的モンスターを生み出しかねないことへの啓発でもある。そのような現代に通じる危うさは、爽快な笑いではない、ゾッとするような怖さを感じさせられる。 【遠山清一】

監督:デビッド・ベンド 2015年/ドイツ/116分/映倫:G/原題:Er ist wieder da 配給:ギャガ 2016年6月17日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー。
公式サイト http://gaga.ne.jp/hitlerisback/
Facebook https://www.facebook.com/gagajapan

【原作】『帰ってきたヒトラー』 ティムール・ヴェルメシュ著、森内 薫訳
河出書房新社 単行本 上・下 2012年1月刊。文庫本 上・下 2016年4月刊